適応障害

【今思うこと】今日で先生を退職します。

 

今日をもって私の教員生活が終わります。
結婚して、産休とって、育休もとって、その間に兄弟も作って、さらに産・育休延ばして…でへへ…。と考えていましたが、人生何が起こるか分かりませんね。

教員生活がそこまで長かったわけではないけれど、
私の人生の中で欠かすことのできない時間になったと思います。
今回のブログでは、思っていることをつらつらと自由に書いていきます。

では、レッツゴー☆

適応障害になってから、休職し、
復職するということは全く考えられませんでした。
精神科の先生に「適応障害です。」と言われるや否や、「辞めます。」と即答していました。(さすがに判断が早すぎるから止められましたが…(笑))
今思えば、本当にこの仕事が辛かった。
でも社会的ポジションや、福利厚生面で辞める勇気が出なかった。
そんな私に、適ちゃん(適応障害)が体と心を壊すことで、私に

「もう限界やで~~~~~~~!自分に嘘つかんといて~~~~~!」

と教えてくれたんだと思っています。辛い、辛すぎるけど、
適ちゃん、気づかせてくれてありがと。

 

1.嫌なのに全力で演じていた

毎朝「あー今日も仕事か。」休みになっても「どうせ月曜日からは働くんか。」って
どの方もそんな思いありますよね。
でも私は、子どもが来る瞬間がとても苦痛でした。
「あー今日はどんなとトラブルが起こるんやろうか」
子どもが帰ってからも「電話かかってこんやろか。」
日々恐怖感を抱いていて、ちっとも楽しくなかった。
書いていてアレですけど…とんだひねくれものですね。(笑)

とは言っても、責任感から一生懸命仕事には取り組みました。
教材研究は毎日欠かさずに取り組みましたし、
ある教科では全国大会での発表をしましたし、学校からの評価も上位でした。
一生懸命やっていて、自分に合う仕事だけれど、
わくわくやる気がわいてくるような好きな仕事ではないというギャップ(その①)
にも関わらず、いい先生を演じるというギャップ(その②)。

 

 

2.理想の生活とかけ離れた生活

今年私新生活が始まりまして、
愛する旦那様を二人暮らしをしております。
わたしは、自分の母がそうであったように、

〇仕事を終えた旦那さんを笑顔で迎えてあげたい

〇家事は私がしたい

という強い願望がありました。
現場ではママ先生もたくさんおられましたし、
自分もこなせるであろう、いや、両立させていかなければならない。

という思いは募るものの、実際には、
自分が旦那さんよりも先に出勤して、旦那さんよりも後に帰ってくる生活。
旦那さんは「家事なんてやれるほうがしたらいいよ。」なんて神様か?!と
思うような考えの持ち主。今はそう思いますが、
その時の私は本当に自分に厳しく、自分を許してあげることができませんでした。
帰ってきてからも、寝るまで教材研究。

私は家庭を何よりも一番に考えたいのに、
どんどんないがしろになっていく。
このギャップ(その③)もストレスになっていきました。

もちろん、ワーママさんたちが家庭をないがしろにしているとは全然思いません。
家庭にかける時間が家庭への愛の質であるとも思っていません。
どれだけ忙しくても、休みの日に思いっきり遊ぶことなどで家庭を大切にされている方が多くおられることをしっていますし、尊敬しています。
しかし、私はやりたくない仕事だったという前提で、
家族との時間を割いてまでしなければならない仕事と捉えてしまっていました。
そのため、ますます仕事のことが嫌いになっていきました。

 

3.頑張った人が損をするなんておかしい

学校の先生は、年功序列で給料をいただいています。
そのため、どれだけさぼろうと、がんばろうと勤続年数が長い人ほどお給料がでます。
そして、仕事ができると評価された人は、生徒指導が大変な学級へ。
信用が薄い人は比較的安定した学級へ。
その結果、一生懸命頑張った人が体調不良を起こしてしまう。
こんなのおかしい。頑張ったらどんどん上へ、辛い経験をさせる。
どの企業でもありうることなのではないでしょうか。
このスパイラルなんとかならないものかなあ・・・。
私は、希望した学年に配属されたことなんて一度もありません。
毎回「まこさんなら、大丈夫やろ。経験積み。」で。終わり。
それでいて、適応障害になったら「新生活へのストレスが大きかったんよな?」と学校のせいにしないスタンスにはさすがに「はあ?」と思ってしまいました。

確かに新生活で感じ取ったストレスもあります。
いくら好きとはいえ、他人同士が急に一緒に住むんですから。
でも…、休職して、学校から離れたことで症状が緩和されている現状で、何が原因かは明らかですやん(笑)

4.自分自身の価値感

休職中にたくさんの本を読んで(また紹介したいと思っています。)
私は、今まで他人の人生を歩んでいたということに気づきました。
「〇〇にそう言われたから」、「〇〇に先生向いてるって言われたから。」など。
他人に勧められ、他人の顔を伺いながら生きている人生だったのです。
自分の本当の気持ちに向き合わず、楽して生きてしまった結果だと思っています。
自分の本当の気持ちは何?「~すべき。」をとっぱらって、
過去も未来も置いといて、今、ここに痛烈なスポットを当てて、

自分が本当にしたいことは何?と考えたとき、

適応障害を治す、自分を大切にして好きになる。

が自分の本音でした。退職する意思は変わることはありませんでしたが、
休職期間を延ばすかどうかは悩みました。(だって、休んでてお金もらえるからね。)
でも「適応障害」を治すためには、一刻も早く退職することが大切であると判断しました。
他人の顔を伺わず、自分が自分のために決断できたことだと思っています。

まだまだ自分のことを好きになっていっている段階なので、
後悔することはないとは言い切れませんが、
私は、この決断に誇りをもっています。
これからは、自分の意思で自分の人生を歩んでいきたいと思っています。

退職の手続きのあれこれのことで体調がしこたま悪い今なのですが…(笑)
今日の気持ちを忘れないために、書き残します。

ちなみに最後の「自分の人生を生きる」とかいう考えができたのは、
「嫌われれる勇気」という本です。

あの本に出会えてよかったなと思っています。

退職したからって、適応障害との付き合いが終わるわけではないと思います。
必ず治す!!!という強い意志と
自分の凝り固まった固定観念を溶かしていくことで
いろいろなものの見方を身に付けて
ワクワク・楽しく生きていけるように、頑張っていきます(無理しない程度です。もちろん)

そして、自分を何よりも大切に。
進め!君らしくココロオドル方!(by WANIMA)

 

 

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