自己紹介

まこち先生の今まで

初めまして。

6年間教員をやってきて、ある日突然「適応障害」になってしまった”まこち”です。

「適応障害」とは、

適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。また、無断欠席や無謀な運転、喧嘩、物を壊すなどの行動面の症状がみられることもあります。

出典:厚生労働省HP

この「適応障害」になるまでにはどんな過程があったのか、

今回は、高校時代~教員時代(適応障害になるまで)を紹介させていただきます。

1.高校時代

高校は、地元の進学校に入学。
要領はいい方ではなかったけど、一生懸命勉強をしてなんとか部活と学問を両立していた。
今までは勉強さえしていれば評価されていたが、進路を決めなくてはいけない。
これといった将来の夢もなく、学級委員やリーダーをやっていたことから、
担任に教員を進められ、「まあ、ええか。」と教育学部のある大学を受験。
あれよあれよと合格。
他の大学も合格したが、就職率の高さから上記の大学に決める。

2.大学時代

勉強はそこそこに遊びまくる。(単位は落とさなかったのでセーフ!)
教育実習で、こんな生活を送るのは無理!!!と感じる。
…にも関わらず、自分と向き合わなかった結果将来の夢が見つからず、
周りの「先生になるぞーーー!」という波に乗り、教員採用試験を受けることに。
目的がどうであれ一生懸命勉強をすることは大の得意。
教員採用試験ストレート合格を果たす。

3.教員時代(一校目)

初任から数年は、小規模校で主に低学年の担任として働く。
無理!!と思うことは多々あったが、単級(クラスが分かれていない)
ということもあり、自分のペースで働く。

4.教員時代(二校目~違和感を感じ始める~)

二校目は、大規模校へ。
ここでも主に低学年の担任として働く。
同学年の先生と歩幅を合わせて指導に取り組む。
年によって、学年の先生との相性が悪いこともある。
苦労したこともあったが、1年というゴールがあったため、何とかやり遂げていた。

「辞めたい」とは何度も思い、同期にもネタのように言っていたが、
自分が勉強を頑張ってせっかくなった「教育公務員」。
お給料もいいし、クビになることもない。

責任感も積極性ももっていて、信頼されていたし、
子どもからもそこそこ人気があった。(自分で言ってすみません。)
でも、「子どものことが好き。」ではなく「先生をやっている自分が好き。」
なんだと気付き始めていた。
自分のアイデンティティは、「先生」であることしか証明されないと強く思っていた。

5.教員時代(二校目~適応障害になる~)

中堅になってきたこともあり、大変な高学年を任されることに。
経験のしたことのない学年で、毎日教材研究をしないと授業がまともにできない。
毎日のように問題が起こり、気の休まらない毎日を送る。
この年に、結婚・身内の病気が発覚したこともあり、精神的に不安定になる。

ある月曜日の朝、突然の腹痛で目が覚め、
「あ、今日休まんと無理や。」と感じる。
責任感から午前中のみの欠席を伝え、午後から出勤するも
動悸が止まらず、職員室で泣けて来てしまい、教室に行くことができない。

次の日から、気持ちを切り替えて行かないと!と思うも
次の日からも、泣けて出勤することができない。
自分で自分の感情をコントロールすることできず、自分が自分じゃなくなっていく感覚。
そのまま休み、精神科のある病院で受診してもらったところ、
「適応障害」だと診断され、そのまま休職をすることに。

 

 

現在は、適応障害完治に向けて、
今までないがしろにしてきた自分と向き合い
本当に自分がしたいことを探したり、のほほんと新婚生活を楽しんでいます。

このブログを通して、「先生を辞めたい!」と思っている方や、
適応障害に悩んでいる方、適応障害の方を支えている方などに
私の経験を知ってもらうことで、何かの役に立てば幸いです。

 

 

 

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